MUSIC HORIUCHI
堀内修の音楽ちょいといい話
失なわれた美声を求めて
2011年 7月号(通巻69号)
新しいほど良い。たとえ進歩を信じないとしても、新しいほど良い。自動車も冷蔵庫も歌も。
そう、歌だって、昔の歌手たちは大したものだったと賛美しつつ、誰もが現代の名人の歌を聴く。昔の歌手といっても、ロッシーニやワーグナーの時代の名人たちは、聴こうといっても無理な話で、私たちが知るのは声でなく、名声だけ。でも20世紀の歌手たちなら、少しは録音で聴くことができる。マリア・カラスやマリオ・デル・モナコの歌は、いまも聴かれている。でも、それ以上古くなると、気持ちよく聴くことができなくなる。
歌は時代とともに変わり、古い人たちの歌はやっぱり古くさく感じられてしまうものなのだ。一時代を風靡したネリー・メルバのような大歌手(「ピーチ・メルバ」の、あの歌手です)の録音を聴いてごらんなさい。仰天するに決まっている。おいおいどこから声出してるんだ! と文句を言いたくなる。メルバがまずい歌手だったのではない。時代の美だったのだ。美は移ろい易いのだが、歌は特に移ろい易いんじゃないだろうか。
オペラや歌曲を聴くなら(ポップスだって同じじゃないかと思う)過去の名歌手を追い求めるより、新しい歌手を追いかけるほうがいい。たとえ年をとっても、昔の美を思い出すより新しい美を追いかけるのが楽しい。昨日のテノールの歌は、新しいテノールによって更新されている。
といっても、振り返るしかない歌だってある。昨日のテノールは今日のテノールに引き継がれる。昨日のソプラノのスターは、今日のソプラノのスターに引き継がれている。でも引き継がれなかった歌もある。
バチカンで歌っていた最後のカストラートの声がかろうじて残っている。といっても20世紀初頭の録音で、名歌手として名を残した人の歌でもなく、これを聴いてカストラートの栄光も想像するのは難しい。
変声期前の少年を去勢して生まれるカストラートは、200年にわたってオペラの世界に君臨した。伝説的カストラート、ファリネッリは、スペイン王の側近として大きな影響力を持ったくらいだから、君臨したのはオペラの世界にとどまらなかった。
どんな歌を歌ったのだろう? 伝説ならたくさん残っているが、17世紀〜18世紀の人々を魅了した歌の力はわからない。
カストラートをこしらえよう! と提案すると、いつも鼻であしらわれる。確かに現実的とは言い難く、実現は不可能だろう。少年をひとりふたり無理矢理去勢すればいい、という話(ま、それもひどい犯罪なのですが)じゃありませんからね。
カストラートの歌は永遠に過去のものになってしまった。もう手に入らない。失なわれた美を、追憶するだけになってしまった。
だが、どうしても聴きたい、という願いは天に通じたのだろう。現代のカウンターテナー、つまり声帯を巧みに使い、ファルセット(いわゆる裏声)を混じえながら、高音域を出し、さまざまな技巧的表現をこなす男声歌手には、名人級がいる。カストラートのために作られた歌は、いまカウンターテナーが歌うのが主になっているのだが、すぐれた歌手なら、聴けば失なわれた美に手が届いたか、と感じられることがあるのだ。
名人級カウンターテナーの第一人者は、アンドレアス・ショルだろう。ヘンデルのオペラのアリアを聴けば、きっと感じることができるはずだ。もう決して手に入らない美に、いま触れたのではないかと。
堀内修(ほりうち・おさむ)
1947年東京生まれ。音楽評論家。著書に「クラシック不滅の名演奏」「オペラに乾杯」「オペラと40人のスターたち」「モーツァルト オペラのすべて」「オペラの名盤」「オペラ入門」などがある。
平成23年6月1日発行(通巻68号)
編集長 木村政雄/アートディレクション&デザイン 額賀剛治/制作進行 池田大作
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