COLUMN SATOCHAN
佐藤義和の私のテレビ史
上戸彩との共演
2011年 7月号(通巻69号)
一九九九年に入ると、昔お世話になった芸人さんが相次いで亡くなった。一月九日に「Wけんじ」で一世を風靡した東けんじさん、三月五日に声帯模写の桜井長一郎さんだ。
亡くなったといえば一番ショックだったのは「笑っていいとも!」「SMAP×SMAP」等のプロデューサー荒井昭博くんの奥さんの静さんが三六才の若さで肺がんで亡くなったことだ。荒井くんは奥さんの病気を知りながら誰にも告げることなくプロデューサーの激務をこなしていたのである。本当につらい毎日だったことだろうと思うと胸が痛んだ。
七月に入って人事異動の内示があり、ゼネラルプロデューサーになった。部長の肩書きがとれてやっと制作現場に戻れる。主治医に報告すると、うつ病がせっかく落ち着いてきたのに、また環境が変わるのかと頭を抱えていた。
さて何から始めようかと思い悩んで、とりあえずお台場に引っ越ししてから始めていた「お台場寄席」(CSパーフェクトテレビで放送)と元旦の「初詣爆笑ヒットパレード」そして加茂プロデューサーと一緒にやっている不定期の「ザッツエンゲイテーメント」を始めた。
二〇〇〇年に入って「G・S・O」というオモチャを手に入れた。それは?グループサンズお笑い?と名付けた、音楽とお笑いの融合番組である。ポカスカジャン、はなわ、劇団ひとり、前田健、東京ビンゴビンゴダイナマイトジャパン等の音楽ネタの芸人と、レギュラーにZ-1という女性アイドル四人グループにエンディングでキャンディーズのヒット曲を歌わせ、番組内でコントもやった。その中の一人が今や超売れっ子の上戸彩である。
そんな彼女達Z-1と一緒に「めちゃめちゃイケてる!」の?爆裂お父さん?のコーナーに出演したことがあった。本番当日打ち合わせが延びてそのコーナーの収録がなかなか始まらず、APの徳光くんと放送作家の元祖爆笑王の三人でフジテレビ内の?DAIBA?というレストランで生ビールを飲みながら五時間ほど待たされた。ディレクターの片岡は昔から打ち合わせに時間をかけるので有名だったが、これほど待たされるとは思ってもみなかった。待つ間にテレビ出演という緊張感を解きほぐすために生ビールをジョッキで一〇杯ぐらい飲んだだろうか、本番前にかなり酔ってしまった。
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いざ本番で上戸彩らZ-1が加藤くんにジャイアントスイングでグルグル廻され、いよいよ私の番がまわってきた。グルグル廻されている間に私は恍惚にも似た様な感じを味わった。本当に私はテレビの制作現場が大好きなんだと再確認した。結果は予想以上のいいリアクションで、評判が良かった。
二ヶ月に一回の彼女達Z-1との仕事が楽しみで待ち遠しかった。
佐藤義和(さとう・よしかず)
1947年4月6日生まれ。1971年東北学院大学法学部法律学科卒業。フジポニー、フジ制作を経て、フジテレビ入社以来、ディレクターやプロデューサーとして、数々のバラエティー番組を手掛ける。代表作に、80年『THE MANZAI』、81年『オレたちひょうきん族』、82年『笑っていいとも!』、88年『夢で逢えたら』、90年『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』、91年『夢がMORI MORI』など。著書に『バラエティ番組がなくなる日』『他人の才能でメシを食う方法』がある。
平成23年7月1日発行(通巻69号)
編集長 木村政雄/アートディレクション 額賀剛治/制作進行 池田大作
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