COLUMN MUROI

室井佑月のコラム

母の死

2011年 7月号(通巻69号)


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震災から一カ月と十日過ぎた。
 ゴールデンウィークは宮城にいる両親のところへ行こうと思っていた。心労から母が寝込んでいるらしく、その看病をしている父もかなり参っているのは、電話からでもわかっていた。最愛の孫(あたしの息子)を連れて行ったら少しは元気になるだろう、そう考えていた。
 しかし、父は「今は絶対に来るな」といった。放射能汚染を心配し、そういっているらしかった。  両親の住む場所は、福島と宮城の県境。しかも、北西に位置している。
「けど、大気中の測定値はそんなに高くないんじゃない?」
 あたしがそういうと、父は「食べ物が心配だから」と答えた。
 両親の住んでいる所は田舎なので、スーパーで売っている野菜に生産地が書いていないらしい。つまり、地元近くのどこで採れたものかわからないらしいのだ。
 スーパーで売られている野菜は国の基準値を下回ったものだといわれているが、基準値ぎりぎりのものも出回っているかもしれない。そういったものを孫に食べさせたくないようだ。
「数日遊びにいって、数回食べたところで平気でしょう」
 とあたし。父は頑に「駄目だ」という。
「体内被爆は足し算だから。今、この状況で、子どもはできるだけ安全なものを食べたほうがいいに決まっている。これからどうなるかわからないし」
 父は頑固だ。ゴールデンウィークに両親の顔を見に行くことは諦めた。
 電話口で父はつづけた。
「ゆうた(孫の名)のことはおまえに任せた」
 まるで遺言のようだ。
「まったく、心配性なんだから。大丈夫。面倒くさいけど、食べ物は週一回デパートに行って、産地を選んで買っているよ」
「それを二年間、絶対につづけなきゃいけない。途中でやめるなよ。ゆうたの志望中学は変わってないのか? 九州か北海道の全寮制の男子校だったよな」
「うん」
「受かりそうか?」
「成績にかなりアップダウンがあるから、まだどうともいえないよね」
「絶対に受かるようにさせろ。ゆうたの志望校は留学制度も整っているしな。いいな、絶対に受からせるように」
 父は何度も「絶対」という言葉を使って、あたしにそう命じた。
 父がなにを考え、なにを危惧しているのか、痛いほどわかった。あたしは父の子であるからね。似ているのだ。心配性なところなどそっくりだ。息子??父にとっては孫の将来を、最優先に考えて行動しろといっているのだろう。いわれなくても、そうするつもりだ。
 父との電話を切ると、切なそうな顔の息子と目が合った。会話の内容から、ゴールデンウィークには田舎に遊びにいけないと悟っているようだった。少し可哀想な気がした。
 震災からこれまで、原稿を書く仕事には気をつかった。一本の短いコラムを書くのに、三日かかるなんてこともあった。今、あたしはなにを書くべきか、そしてどんなものを書くことが正しいことであるのか、迷いに迷ったのだ。
 仕事がそんなであったから、育児はおざなりになってしまったかもしれない。息子の勉強を見てやる時間もなかったし、なによりだらだら会話している時間も取れなかった。
 あたしは決意した。そして、息子の正面に立ち告げた。
「ゴールデンウィーク、爺ちゃんのところには遊びにいけなくなったけど、ママはママであることに専念してやる」
「どういう意味?」と息子。
「仕事を数日休んで、おまえと一緒にいる」
「どこかに行くの?」
「行ってもいいけど、勉強道具は持っていく。みっちりママと勉強をするんだ」
「えーっ」
 眉間に皺を寄せる息子。あたしは息子の眉間の皺を、人差し指ではじいた。
「おまえ、先月の地震の前と今じゃ、勉強の意味が違うんだよ。以前はとりあえず良い中学に入って......そんな風に考えていたけど、そんな悠長な話じゃなくなった。一言でいえば、今の勉強はサバイバルだ。生き残りを賭けて、勉強するんだ」
 ほんとうか? けれど、あたしとあたしの父は、真面目にそう考えている。
「えーっ」ともう一度、息子がいう。投げ捨てるように、つぶやく。
「ゴールデンウィークなのによっ」
「文句があるなら、だらしない政府とこんな状況なのに利己的な官僚と原発事故を起こした東電に言いなさい」
「そんな......どうやって言いに行けばいいんだか」
「しっかり勉強して、菅の立場になればいいだろうが」
「は? 総理大臣になれってか?」
「そういう方法もある」
 三度目の「えーっ」という言葉が息子から漏れる。
「しょうがないだろ、今の時代にこの国に生まれてきたんだから。これから我が家はサバイバルモードに入ります」


muroi.gif 室井佑月(むろい・ゆづき)1970年生まれ。青森県出身。ミス栃木、レースクィーン、雑誌モデル、銀座の高級クラブでのホステスなど様々な職を経て、97年、「小説新潮」主催「読者による『性の小説』」コンテストに入選。以降、「小説現代」「小説すばる」などに次々と作品を発表し本格的な文筆活動に入る。『熱帯植物園』(新潮社)、『血い花(あかいはな)』(集英社)、『piss』(講談社)、『ドラゴンフライ』(集英社)、『ぷちすと』(中央公論新社)、『クルマ』(中公文庫)、『ぷちすとハイパー』(中央公論新社)、『ママの神様』(講談社)などの長編・短編・掌編小説を多数刊行。一躍、人気作家への階段を駆け上っていく。『ラブ ゴーゴー』(文春ネスコ)、『作家の花道』(集英社)、『ああ〜ん・あんあん』(マガジンハウス)、『子作り爆裂伝』(飛鳥新社)などの痛快エッセイも好評を博す。現在、「ピンポン!」(TBS)、「中居正広の金曜日のスマたちへ」(TBS)などのテレビ番組にレギュラー出演中。


平成23年7月1日発行(通巻69号)
編集長 木村政雄/アートディレクション 額賀剛治/制作進行 池田大作
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